若い頃(大学の頃)、祇園祭は祭りのような気がしなかった。
大学に入った頃は、夜遊び、ビール飲んで酔っぱらいたい、みんなでつるんでいたいというような雰囲気が強かった。
もともと、大阪府寝屋川市に住んでいたこともあって、大阪の天神祭は楽しかった。夜店はあるし、ビールも飲めたし、何より、船渡御がすごかった。近くまでせまってくる迫力があった。今でも、当時を振り返ると興奮する。太鼓の音が響いてくる。
大学は京都府立医科大学であったから、自然と祇園祭にも行くわけである。夜店はある、ビールも飲めた、しかし、迫力がなかった。人出は多いのだが、鉾・山などが路駐しているだけで、緞帳の良さも分からなかった。
静かすぎるのであった。
あの頃から、20年以上たち、祇園祭を振り返ると、ここ10年くらい前から、7月になると妙に心が落ち着かないのである。祇園祭の歴史や、7月いっぱいにわたって行われる行事、鉾・山の名前を覚えたり、緞帳の絵柄をみたり。
祇園囃子のチョーーッという音が聞こえてくると、「行かねば…」となるのである。
動から静へという訳ではないが、天神祭の「動」と祇園祭の「静」を比べると、同じ人ごみに入るにしても、祇園祭の静をえらんでいる自分がいる。
宵山、宵々山に興味があるが、山鉾巡航には、あまり心を引かれない。天神祭も、10年以上行っていない。
単に年齢を重ねただけなのか、出るのがおっくうになっただけなのか…
明日は宵山です。